<すべてのズボンはジーンズに憧れる>
谷川俊太郎 日々の地図 56p 「木綿私記 」より
リップラップでジーンズを作りはじめて2年ほど経った。
1ヶ月前の寒い日がもう思い出せない春、ぼくはジーンズをはきたくなる。
消費税が3%から5%になった頃、実家近所のジーンズショップでLevi’s 503を父親に買ってもらった。身長が小さく太っちょ少年だったぼくは、当時でいうところの「リラックスフィット」というモデルしか入らず、その一択にてジーパンデビューした。
とても嬉しくて。股下を採寸してくれ、その場でミシンを踏んで裾詰めしている店員さんの姿を今でも覚えている。
高校生の頃、バイトで得たお金を握りしめ金沢の”ONE”というお店で、当時流行っていたPOLO JEANSのただでさえ太いデニムの36インチを買い、それをデカばきの腰ばきで着用し、親から白い目で見られた。
20歳の頃、川崎港で朝から夕方までイオンの荷分けのバイトをしていた。その時着ていた派遣会社のトレーナーの背中には塩が残るほど汗をかき、はいていたジーンズは湿って重くなり着心地が悪く、コットン製品はこの仕事には向いていない。と、途中から化繊のパンツを着用するようになった。
23歳の頃、静岡の先輩からビンテージジーンズを譲り受け、それは今でも破れないように慎重にはいている。
…これらのジーンズの記憶はぼくに限ったことではなく、誰もが自分のストーリーを持っているんじゃないかと思う。
とくに機能的でなく、むしろ古典的ともいえる綿の5ポケットパンツになぜぼくたちは惹かれるのだろう?
それは、洗いたてのジーンズのざらっとした肌触りかもしれないし、
合成インディゴ特有の青黒い色が、着用と共に綺麗なブルーに変化していく過程かもしれない。
とにかく、必要最低限のパターン数でライン生産されているこのパンツにぼくはずっと魅力を感じている。
文頭で引用させてもらった谷川俊太郎さんの詩集の発行年は1982年。
およそ40年前より、ジーンズの存在は変わっていない事がうかがえる。
「おろしたてのジーンズをはいて、春の匂いのする場所へ出かけませんか?」
ぼくがはいているリップラップのジーンズはインディゴが馴染んできました。スラックスのように浮き出たセンタークリースがお気に入りです。
-POST FROM N